先祖供養の考察

スピリチュアル的な意味における先祖供養についてお話してみたいと思います。

先祖供養というと昨今、様々に物議を醸している事柄でもあります。

現実思考、あるいは唯物史観的な見方をする方からは、先祖供養など生きている人間の感傷に過ぎず、昨今ではスピリチュアル的な見方をしている方の間ですらも先祖供養不要論が多く席巻されているように感じます。

人は亡くなったら霊界へ旅立つのだから供養などしても仕方がない。

現世の食べ物などを供えられても霊人になれば食べられないのだから不要である。

そもそもお経をあげてっもらったりしても嬉しくないし、意味がわからないなど様々な理由から先祖供養は意味がないという意見も多いように思います。

確かに現代に生きる人たちにとって先祖供養はあまりピンとこない儀礼のようなものになってしまっているのかも知れません。

段々と時代を経るにしたがって、私達の考え方も変わってきています。

先祖供養に対する考え方も様々に分かれていくのは当然の帰結であるとも言えます。

では、先祖供養は最早、無用の長物であり、意義のない儀礼的なものでしかないのでしょうか。

そうではありません。

では、今後、先祖供養というものについてどのような視点で見ていけばようのでしょうか。

スピリチュアル的な視点で観た場合の先祖供養について考えていきたいと思います。

まず、先祖というのは時代を遡ればそれこそ何千、何万というつながりがあるわけですが、時代ごとに思想的な考え方が異なります。

近代に入ると先祖供養というものが儀礼的な枠組みの範疇を出ないものとして考えられるようになってきましたが、それ以前は、子孫は先祖を供養し、手厚く祀るという慣習が当たり前のように続けられてきたわけです。

そのような慣習がある時代に生きたご先祖様というのは、とても先祖供養というものにこだわりがあるわけです。

現代に生きる私達とはそもそもの考え方、発想が違うわけです。

そうなるとお亡くなりになり霊界に旅立たれた近代に入る以前のご先祖様達と近現代に生きて亡くなられた方とでは、先祖供養に対するこだわりも違うということです。

このことは霊界に旅立ってからも尾を引く問題になっています。

つまり、近代以前に生きたご先祖様にとって先祖供養はやってもらって当たり前と思っているフシがあるということです。

現代の私達がいくら「先祖供養など無意味だ!」と考えていても、近代以前に亡くなられたご先祖様達はそうは思っていないことが多いわけです。

まず、先祖供養が無用と言い切れない理由の一つにはこのような事情があります。

では、現近代に生きた比較的、私達と近い時代を生きたご先祖様に対しては先祖供養は必要がないということなのでしょうか。

実はこれも必ずしもそうであるとは言えない部分があります。

なぜならば、生前は「先祖供養など無用!」と言い切っていた方でも、霊界についてよくわからずに亡くなったりしている場合、亡くなられてもすぐには自分の行くべき霊界に移行できずにいるケースがあるからです。

もちろん、生きている時も心根が清々しく、亡くなる時も執着無く穏やかに旅立って行かれれた方などはちゃんと守護霊の導き(あるいはご先祖系の背後霊団の導き)によって迷わずご自分が行かれる霊界へ移行される方もいらっしゃると思います。

しかし、中々、そのようにすんなりは生きにくく、すっぱりと穏やかに亡くなることができる環境にないのが現代という時代でもあるわけです。

スピリチュアル的な見方がナンセンスであるという受け止められ方をするようになっている分、むしろ、亡くなられた後もモヤモヤしている状態になることも多いといえるのです。

そのように考えると、先祖供養のあり方は現近代の方とそれ以前の方とで変わってくるかも知れませんが、先祖供養の本質でもある霊界での修行や学びのアシストという意味では今後も必要不可欠であるのかも知れません。

さて、ここまで先祖供養についてお話してきましたが、それでもなお疑問が残る方もいるかも知れません。

それは、「そもそも霊界に行ってまでなぜ現世における食べ物などを供えなければならないの?食べられるわけではないのに。。むしろ、執着心を煽って現世への思いを引き伸ばしてしまうのではないの?」という疑問です。

確かにこれは一厘あります。

私は以前の記事などでもお話していたかと思うのですが、私達は先祖供養するために生きているわけではありません。

とはいえ、私達とご先祖様は霊線で繋がっているので、スピリチュアル的には無視できない存在でもあります。

なぜならば、ご先祖様が霊的にマイナスな状況にあると私達にもそのしわ寄せが来るからでもあります。

しかし、そうは言っても私達の生きる意味は先祖供養をするためではなく、魂の向上にあるわけです。

まずは、自分自身の魂を向上させていくことが結果的に霊線で繋がるご先祖様の霊界霊層向上に寄与することにもなります。

なので、一生懸命、先祖供養だけしていれば良いというわけではないのですね。

そう考えると先祖供養でお供えなどをしてご先祖様をねぎらうなんて霊界での先祖の修行の邪魔をするだけになるし、自分の魂の向上のみ考えていればいいという発想になってしまうのもわかります。

しかしながら、ここでもまたご先祖様の霊界事情が絡んでくるのです。

例えばある程度の上部霊界で満たされた生活を送っているご先祖様というのは、ハッキリ言ってしまえばあまりお供え物や現世的な意味での供養は意味をなさない場合があります。

なぜならば、霊界で十分に欲しいものは手に入れることができます。

というよりも、現世で欲しかったものなどあまり欲しくなくなっていることが多いのです。

なので、こういった上部霊界に位置するご先祖様の場合は、お供え物を沢山あげても、その真心は受け取っていらっしゃいますが、あまり関心がないようでもあるのです。

例えるならばお金持ちで大きな広いお屋敷に住み、家庭での環境にも恵まれている人がいるとして、その人に美味しい食べ物や即物的な快楽を提供しても喜ばないのと一緒です。

もっと高次元な向上心を満たすようなものでないと喜ばないわけです。

上部霊界のご先祖様に対する供養は一般的な供物を捧げて行う方式だとあまり意義としては薄いのかも知れません。

しかし、下部霊界に位置するご先祖様は事情が異なります。

霊界においても自分自身の霊覚、霊格が低いため、あるいは現世に近い霊波動に絡め取られているために欲しいものを手に入れにくい状況にあったりもします。

というよりも、現世で欲しかったものが霊界にあっても欲しかったりするわけですね。

そのようなご先祖様達に「皆さん、もっと次元の高い境地に立ちましょう!」と言って聞かせても「そんなこと言われても困る。わしらは色々と欲しいものがあるんじゃ~」という反応がかえってくることになります。

たとえるならば、お腹の空いている人に「人はパンのみに生きるにあらず」と尊い教えを説いてみても、「いいからパンをくれ!」と聞く耳を持たないのと同じなのです。

ですから、こういった場合は、まず、欲求をある程度、満たしてあげながら、少しずつ次元の高い境地へと導いてあげないと難しいわけですね。

こういったご先祖様においても霊界事情があるので、一口に先祖供養が必要、不要ということは言えないということなのです。

先祖供養というものもよくよく考えてみると奥が深い意味があったりするわけですね。

何事も時代の流れや環境の変化によって影響を受けていきます。

その時代にあったあり方というものを探求していくことも大事な学びなのかと思います。

先祖供養についても色々と検討する必要があるのかなと思います。


◎クリックご協力ください!
スポンサーサイト

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

コメントの投稿

非公開コメント

No title

私が、日常で、幾人かの子供と接していて思うことと、「先祖供養の考察」の内容は、共通するところがありました。
例えば、子供はご褒美が大好きだと思われています。でも、ご褒美の物品をもらって喜ぶ子もいれば、逆に「そんなものくれるために頑張っているんじゃない」と白ける子もいます。その子の性格・人格により、一概に言えません。

そのような事例と、その人自身の霊覚や習慣や性格により、先祖供養のやり方も、喜ばれもするが、意味のないものもある、という所に、同じようなものがあるなあ、と思いました。

ただ、違うところは、霊能力がない人には、亡くなった人の気持ちが、確かに分からないところ。反応を見極めるのが難しいところです。そこのところのご考察も、いつかお聞きできればと思います。
プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

ツイッター
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
閲覧者数
現在の閲覧者数:
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Happy Search★ ~占いと癒しの検索ポータルサイト~
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR