【公開質疑応答】慈悲と「かわいそう」の違いは何?

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、和元様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


慈悲の心、とかわいそう、という気持ちの違いがぴんときません。

慈悲の心、は正のエネルギーを生み出すように思えますが、かわいそう、という気持ちは負のエネルギーを生み出すように思えます。

誰もが幸せな満たされた状況において、慈悲、は抱きにくい感情です。
人が慈悲の心を抱くとき、というのは大体、何か悲惨な事件を見聞きした場合が多いのではないでしょうか。

そのような事件を目にし、耳にした時、私はいつも真っ先に「かわいそう」という感情を抱きます。

「ご家族はどんな気持ちだろう」「なんでこんなことに」
ショックのあまり沈み込むことも、怒りにふるえることも、あります。

その時の自分の気持ちを客観的に見つめると、なんとなく暗い気持ちなのです。
前向きになれない。

東北の震災のときも、確か先生は、あまり負のエネルギーを出さず、前向きに復興を祈り、できることをやりましょう、という内容の記事を書いてくださいました。

しかし、多くの方の悲しみは、共感、同情する慈悲の心であったのでは、と思います。
      
同情し共感し我がことのように心を痛めること、と慈悲、とは違うのですか。

悲しむべき事件を見聞きしたとき、どのような感情を抱くように努力することが、正のエネルギーを生み出すことになるのでしょうか。


【回答】


和元様

ご質問ありがとうございます。

>慈悲の心、とかわいそう、という気持ちの違いがぴんときません。

とのことですが、「感情」という点において、二つの言葉の意味するところは同じかと思います。

慈悲の心の発端は「かわいそう」という感情から始まります。

和元様もご質問において例として挙げられているように東日本大震災が起こった際には、皆、亡くなられた方、家族、親族、近しい友人などを亡くされた方、家屋、財産に仕事すべてを失って途方に暮れる方、本当に不幸な方を沢山、目の当りにしたわけです。

その時には多くの方が、「かわいそう」と感じたことでしょう。

確かに「かわいそう」と思うことは、他人の不幸や悲しみに同調する行為なので、正負のエネルギー的には負のエネルギーに近く発展的なエネルギーだとはいいがたいことでしょう。

しかしながら、慈悲ということを感情という側面だけで捉えてしまうと、本当の意味が見えなくなります。

慈悲と「かわいそう」の違いは感情的な違いではなく、その後の行為によって異なります。

さて、元々、慈悲という言葉は仏教で使われている言葉です。

慈悲の心の発端は、お釈迦様にその鍵があります。

お釈迦様は菩提樹の下で悟りを開かれてとても、幸せな境地に立たれていました。

一切の苦から解放されて、永遠なる涅槃寂静の境地です。

このような境地は中々、簡単には体得できないだろうとお釈迦様は考えていました。

そこへ梵天(ブラーフマン)がやってきて、「どうか衆生にもその悟りの境地を開き、苦しみから救ってあげてほしい」と頼まれます。

お釈迦様は自分の悟った境地に至る難しさを理解していたため、最初はこの申し出を辞退いたします。

しかし、それでも何とか衆生を救ってやってほしいと頼まれて、お釈迦様は意を決して、菩提樹の下での瞑想を解き、すっくと立ち上がり、難解で得難い仏法を説いて回るべく、行動を開始したのです。

この時、お釈迦様を決意させたものはおそらく「苦しむ衆生がかわいそうだ」という感情だったと思います。

しかし、お釈迦様がもしここで「ああ、衆生は苦しんでいてかわいそうだな。大変だね」と思っているだけで、菩提樹の下で瞑想を解き、立ち上がるということをしなかったならば、単なる一時の同情で終わったことでしょう。

もし、お釈迦様が仏法を説くという行動をとらないで終わったならば、負のエネルギーを醸成しただけのことになっていたと思います。

でも、お釈迦様は立ち上がり、その後、衆生を導き始めたのです。

これが本当の慈悲の心というものなのです。

かわいそうという感情はあくまで発端に過ぎず、その後、いかなる行動でそれを示されるのかが、慈悲と「かわいそう」を分ける分岐点なのです。

だからこそ、

>東北の震災のときも、確か先生は、あまり負のエネルギーを出さず、前向きに復興を祈り、できることをやりましょう、という内容の記事を書いてくださいました。

とあるように、かわいそうで終わらずに、できることをしましょう、負のエネルギーを出すだけで終わらせずにいましょうと書いたのです。

単なる同情で終わらせず、正のエネルギーに転換できることは何でも行っていく。

こうする態度が正のエネルギーを醸成していく鍵になるのではないかと思います。


以上、回答とさせて頂きます。


天心 拝


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