【公開質疑応答】磨いて育つ才能(実力)について

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、sweet様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


いつも楽しくブログを拝見しております。


持って生まれる才能や、磨いて育つ才能(実力)について質問です。

アスリートであれ、アーティストであれ、その他の職業であれ、それぞれ人には持って生まれた才能と、ある意味努力ではどうにもできない限界があると思います。たとえば野球をしている人がどんなに一生懸命たくさん練習をしても、誰もがイチロー選手や、田中選手みたいになれるわけではありません。

もちろん一流になるためには人一倍の努力が必要なのは当然でしょうが、その結果世界のトップレベルの実力を身に付ける人と、そうでない人、そこまでのワールドレベルではなくても、例えば「どうしてもアイツには適わなくていつも二番手」という人など。アーティストなら世界や歴史に名を残す人と、小さなコミュニティの中で活躍する人、全然芽の出ない人など、それぞれが持って生まれる才能や、磨いて育つ才能の大きさ・限界は、どのように決められているのでしょうか?

みんながより大きな成長と活躍を目指して頑張っても、実際にそのレベルになれるのはほんの一握りだけです。その一握りの人たちだけが「生まれてきた目標に到達できる人」というのなら、この世界はあまりにも厳しすぎると思うのです。ほとんどの人がある時点で「諦め」たり、「方向転換をし」たりするわけですから、そこにも、到達する人たちと同等の、同じような価値のある生きる目的や本質があるという事なのでしょうか?


【回答】


sweet様

ご質問ありがとうございます。

人にはそれぞれ才覚があり、それを磨くために様々な努力をしますね。

その中でも、磨けば磨くだけ能力が高まる人を才能があるといい、特別視する見方もあります。

とりわけ、大きくメディアで取り上げられたり、注目の集まる場でその才能が認められることで、スターのような存在が生まれるわけです。

今回のご質問に回答していくにあたり、二つのことを踏まえる必要があります。

一つは、才能が発揮される条件、今一つは成功の定義です。

まず、才能が発揮される条件なのですが、一つには人にはそれぞれ性格があるように魂にも性質があります。

同じように努力しても、結果が異なり、その後の脚光の浴び方も違ってくることがあります。

その理由の一つとしては、自分の魂の性質に見合った方向性や事柄で努力をしていると才能は伸びやすいという傾向があるようです。

これは、本来は誰にも当てはまることで、誰かが特別な人間で、他の人間は凡夫だということではありません。

誤解を恐れずに言えば、誰でもスターダムにのし上がるくらいの才能は持っているものなのです。

自分の魂の性質に心から気づき理解している人は、その方向に自然と向かい、才能を伸ばします。

しかしながら、そこに気づけない人は、少しずれた方向で努力しているために才能が思ったほど伸びないという結果になることが多いということです。

もちろん、これは単純に魂の方向性を知れば才能が伸びるという話ではありません。

心の底から理解し、気づかないとダメなのです。

では、なぜ、気づける人と気づけない人がいるのかと言えば、一つにはスピリチュアル世界における霊界のねじれや歪みなどにも原因があると思います。

素直に魂の道につながるような霊界を背景に持つ人は、自分の魂の性質は何だろう?などと考えなくても自然とその方向性を見つけます。

一方で、いくら頭で考えてみても霊界やその人の追うカルマや因業がそれを邪魔して見えなくなっている状態だと何が魂の性質に見合っているのかが見えなくなるものなのです。

ですから、大きく才能を伸ばす人と平凡で終わる人との差異の一つにはこういったことがあります。

それでは、大きく才能が伸びる人は霊界の歪みが少なく、才能が伸びない人は霊界が歪んでいるということになってしまうのでしょうか。

そうではありません。

才能ということでもう一つ注意すべきは成功の定義です。

才能が伸びる、あるいは才能があるといわれる状態ということを考えたとき、その基準を大抵の場合、いわゆる結果の成功度に求められることが多いのが世の常です。

有名になったり、大金を稼げるようになったり、権威的なものから認められたりといったことが成功の定義と思われている節があります。

しかし、スピリチュアル的に見た成功とは、こういったことではありません。

あくまで魂の性質に沿った生き方をしているかどうかが成功の基準なのです。

但し、現実的な側面を見てみると魂の性質にあった方向性で努力して才覚が大きく磨かれたとしても、世間的な脚光を浴びることもなく、大金を手にしたり、認められることもない場合も多々あります。

それは才能がないからではなく、単にその時代や状況においての評価基準にたまたま一致していないだけです。

どんなことも才能足りうるものですが、それが成功に結び付くかどうかは、時代の状況によります。

例えば、野球で脚光を浴びる選手は棒状のもので飛んでくる球体のものを叩いてできるだけ真っ直ぐ遠くに弾き飛ばすと認められます。

「野球とはそんなものではない!」と野球ファンからは怒られてしまいそうですが、野球というスポーツが知られていなかった、あるいはまだ発明されていなかった江戸時代にプロ野球の選手がボールを木の枝で遠くに弾き飛ばしたとしても誰もほめてくれなかったと思いまし、お金にもならなかったことでしょう。

「そんな暇があったら野良仕事でも手伝え!」とげんこつの一つもくらわされたかも知れません。

このことを考えれば、どんな才能も時代の状況、環境によって成功としての結果に結び付くのかが決まるということは必然です。

一方、今は認められていなくとも時代や状況が変われば、才能が認められることだってあるはずです。

ですから、本来は誰にも大きく伸ばせるはずの才能は眠っているといえると思います。

成功するかしないかという視点で見てしまえば、スピリチュアル的な意義における才能を磨く意味を見失ってしまいます。

大事なことは魂の意志するところを表現していくこと。

その時に威力を発揮していくのがスピリチュアル的な視点で見た場合の才能の意味になります。

なので、イチローには才能があるけれど、他の結果が振るわない人には才能がないということにはならないのです。

スピリチュアル世界の人物で言えば、イエス様もお釈迦様も孔子も生きていた時代にはそれほど脚光は浴びませんでした。

その時代においては異端であり、成功者とは言えません。

イエス様も迫害されて主だった弟子の中にも裏切り者が出る始末です。

お釈迦様も当時はお弟子はいましたが現代のような世界宗教足りうる巨大な影響力と尊敬を得る存在ではありませんでした。

孔子も生きていた時には結局、どこにも仕官することなく人生を終えました。

しかし、死後には国の制度として採用されるほどに孔子の思想は認められています。

このことを考えれば、現時点での成功、失敗では才能というものは測れないものだといえるでしょう。


以上、回答とさせて頂きます。


天心 拝


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ジャンル : 心と身体

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