【超略解シリーズ】 老子 -天地は仁ならず-

こんにちは!

天心です。

【超略解シリーズ】としまして、早速、老子道徳経の内容についてお話していきたいと思います。

初回は二度にわたり、老子序章として、概略をお話してきました。

まだ、読んでない方は、そちらを最初に読まれてから、当該記事を読まれることをお勧めします。

【超略解シリーズ】 老子 -序章-
【超略解シリーズ】 老子 -序章2-


それでは、老子道徳経の解説に入っていきたいと思います。


◆◇ 天地は仁ならず ◇◆


【原文(書き下し)】

天地は仁ならず、万物を以て芻狗(すうく)と為す。
聖人は仁ならず、百姓(ひゃくせい)を以て芻狗と為す。
天と地との間は、其れ猶お槖籥(たくやく)のごときか。
虚(むな)しくして屈(つ)きず、動きて愈々(いよいよ)出ず。
多言は数々(しばしば)窮(きゅう)す、中を守るに如かず。


【超意訳】

天地の働きには人間が思っているような思いやりの心なんてありはしない。
天地の働きというものは、あらゆるものを区別せず、まるで藁でつくった犬の人形のように取り立てて思い入れもないように扱うものだ。
このため天地の働きと合一した聖人にも思いやりの心などというものはありはしない。
聖人が政(まつりごと)を行う時には天地の働きと同じように万民を藁で作った犬の人形と変わらないように扱うだろう。
天と地が働き生み出されているこの世界は、例えるならば風の通り向ける空間のようなものだ。
何もないように見えて、実際には無限に尽きることのないエネルギーが空間に満ち溢れている。
余計な言葉や論理を使って天地の在り様に逆らえば、行き詰ってしまう。
天地の働きに任せることが大事なのだ。


【超解説】

え~と、この章の前半はかなりえげつなく聞こえることをさらっと言っています。
天地の法則には人間が思っているような思いやりの心、即ち「仁」の徳などないと言っています。
これは、仁義礼智信などの五徳を修めて聖人への道を説く儒教へのあてつけという見方もあります。
儒教では、思いやりの心である仁の徳を一番、大事な要素として説いています。
義理の心も礼節も智慧も信頼関係も最後は仁に行き着いてこそ意味があると考えているのです。
思い遣りの心を磨いていけば、徳の高い聖人になれるよというわけです。

しかし、老子はこれを一蹴します。
繰り返しになりますが、天地の働きに仁などないと老子は主張するのです。
例えば、私たちは海で魚を獲ってお腹を満たすことがあります。
これは海が育んだ魚という幸を頂いて生かされているという側面が私たちにはあります。
海も生み出された魚も全ては天地の働きによってもたらされたものです。

「天地は恵みをくだされた!私たちは愛されている♪」と考えれば、天地にも仁があるような気がいたします。
しかしながら、海はいつでも幸を私たちに与えてくれるわけではありません。
3.11における大震災などでも経験したように津波が発生すれば、私たちは命を奪われることがあります。
漁の最中にサメに襲われれば、これもまた命を失うこともあるでしょう。
果たして天地の働きとは仁であると言い切れるのか。

このような命題を老子は投げかけると同時に、回答として、「仁などない」と言い切っているのです。
天地の働きとは、人間の考え出した哲理や思想で図れるものではないというのが老子の主張するところです。
ここまでは、まだ、話の筋としては納得できる部分もあるかと思います。
しかし、この後、さらに老子はとんでもない主張をいています。
天地に仁がないのだから、聖人にだって仁など不要である言っているのです。

つまり、天地が万物に対して行うように民に対しても同じように扱えといっているわけです。
藁の犬の人形のように民を扱え。
聴こえようによってはとんでもないことを主張しているように感じます。
現代社会でもし政治家がこんな発言をすればたちまち炎上、バッシング、議員職を辞任に追い込まれることでしょう。
どう考えても、国民に対して思いやりのかける態度が望ましいなどという考えを受け入れられるはずもありません。

前半部分だけ読むとおそらく、老子とはトンデモナイ奴だと思われて、本も捨てたくなることでしょう。
しかしながら、後半をしっかりと読んで意味をきちんと咀嚼すると老子の真にいわんとしていることがわかるようになります。
後半部分では、天地の働きについて触れています。
天地の働きというのは、私たちの住む世界には一見して何もないように見えて実はあらゆるものを調和させるためのエネルギーとして存在していることが分かります。

天地の働きは常に融和して、私たちの暮らしも含めて調和へと導いてくれるエネルギーを持っています。
ただ、私たちの言葉や論理というものが、そのエネルギーを制限してしまっているといえます。
本当は無限で尽きることのないエネルギーであるのに私たちが余計なことをすることで有限のものにしてしまっているということです。
だから、制限となる壁を取っ払い、無限のエネルギーを受け入れよう!

というのが老子の主張の骨子にはあるのです。
老子にとっては仁という考え方も所詮は人間が考え出した不完全で道のエネルギーを阻害する壁であると感じたのかも知れません。
決して、人を物のように扱え!という部分が本質にあるのではなく、「不完全で無限のエネルギーの受け入れを阻害する壁となる人為を捨てろ」ということに本質があるのかなと思います。






以上、老子道徳経の超略解になります。

何かの参考になれば嬉しく思います。


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No title

聖人のところで、ハリーポッターのダンブルドアの事が思い浮かびました。
老子のような方達の言葉は、ひつつひとつが深いように思います。

天心様のおかげで、老子にほんの少し触れる事ができました。
どうもありがとうございます。
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Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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