全体から見た不完全と個としての完全

こんにちは!

天心です。

本当は、霊界からのジャミング作用についてのお話をするつもりで記事を作成していたのですが、知らぬ間にブログ記事作成ページのセッションが切れていて、見事に下書きが消えました。(;゚Д゚)

まあ、そんなことも時にはありますよね。(笑)

でも、もう一度、書き直す気分にはなれないので、今回は全く異なるテーマで話をしたいと思います。

私たちは完全な存在であるか、不完全な存在であるかというテーマでお話をしてみたいと思います。

さて、いわずもがな、私たちは完全な存在ではありません。

皆、何かしらの偏りを持って生まれてきています。

生まれた瞬間から偏っているといっても過言ではないでしょう。

何しろ、男に生まれれば女としての性質からは離れて男側の性質に偏ります。

生まれた国や文化によっても偏りが当然ありますね。

生まれた国が一緒でも育つ家庭が違えば、またそれぞれに偏りが生まれます。

こうして、色んな要素を起点として観察していくと、人は生まれながらに偏った存在であることが宿命ずけられていることは明白です。

このように考えれば、人は完全な存在であるのか不完全な存在であるのかは、論じるまでもないように感じます。

当然のごとく、不完全であるという結論が自明であるかのように思います。

しかしながら、これはあくまで全体性、誤謬なき存在という意味で考えた場合において、偏っているというだけのことです。

人を個別の存在として視た場合は、一つひとつの部分としては、完全であるという考え方も出来るのではないでしょうか。

つまり、私は私として完全であり、あなたはあなたとして完全であるといえるのではないかということです。

私たちは何かと比較して評価する時、必ず偏りが発生してしまいます。

偏りがあるがゆえに完全性を失ってしまうといえるでしょう。

男と女を比較するから、それぞれに足りない欠落した点が浮かび上がってきます。

アメリカ人であることとロシア人であることを比べてみたり、日本人であることと中国人であることを比べてみたりすることで、評価をしようとするからそれぞれの欠落する点が浮かび上がり不完全性が目についてしまうわけです。

自分自身の不完全性を克服したいならば、この比較して評価するあり方をやめるしかありません。

自分の人生と他人の人生を比較してみたり、自分の所有しているものと他人の所有しているものを比較してみたり、余計な評価心を動かすから自分の不完全性が浮かび上がり、がっかりしてしまうわけです。

私たちは全体性から見た場合には不完全でも、個々人としては、誰一人、不完全である人間はいないといえるのではないでしょうか。

だからこそ、どんな人生を歩んだとしても誰の人生が素晴らしくて誰の人生は価値がないなどということは本来は誰にも言えないのではないかと思います。

自分は自分に与えられた完全なる人生を歩む。

こう思えれば無用な悲愴感やマイナス感情に支配されることはなくなるのではないでしょうか。


◎クリックご協力ください!


スポンサーサイト

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

ツイッター
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
閲覧者数
現在の閲覧者数:
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Happy Search★ ~占いと癒しの検索ポータルサイト~
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR