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【公開質疑応答】捨てて良い?般若心経が印刷された団扇

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、けいのすけ様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


くだらない質問かもしれませんが、気になっている事が2つあり、ご回答頂けると幸いです。

1)5年くらい前に浅草寺のお店で、般若心経が印刷された、手のひらサイズの小さなうちわを買いました。
しばらく飾った後、引き出しの中にしまったままにしており、出来ればもう処分したいのですが、
どうしたらよいのか迷っています。
お土産屋で買ったものなので、ただの印刷物として扱ってかまわないのか、
でも、般若心経が印刷されてるし、ゴミ箱に入れて捨てたりしたら、罰が当たりそうだし、と、
捨てるのを躊躇してしまいます。
適切な処分の仕方を教えていただけると嬉しいです。

2)数年前、外国人の友人に、私の干支が印刷されている絵馬を頂きました。
鎌倉八幡宮で、買ったそうです。
外国人なので事情がわからなかったのでしょうが、日本人には無い発想ですよね。驚きました。
家に飾る訳にもいかず、持っててもどうしようもないので、これも出来れば処分したいのですが、
どう扱ったらいいでしょうか?
鎌倉八幡宮にお返しした方がいいのか、どこかの神社に持って行ってもいいのか、それとも気にせず捨てていいものか・・・。

小さい事かもしれませんが、結構悩んでいます。
どうぞよろしくお願いします。


【回答】


けいのすけ様

ご質問ありがとうございます。

まず、原則として、神社・仏閣で頂いた絵馬や破魔矢、お守りやお札といった明らかな依代やものざねの類は、それをお分け頂いた神社・仏閣にお返しするのが良いということです。

ですから、

>2)数年前、外国人の友人に、私の干支が印刷されている絵馬を頂きました。
>鎌倉八幡宮で、買ったそうです。


のケースについては、鎌倉八幡宮にお返しするのが良いということになります。

ただ、本来、絵馬の場合は絵の裏側に願い事を記載する欄があるはずなので、そこに願い事を記載して、その神社の所定の場所に納めるのが正しい在り方ではあります。

けいのすけ様もおっしゃられているように、ご友人は外国人ということもあり、そのあたりのことはわからずにお土産として購入したのかも知れませんね。

そういった場合、特に願い事を書くこともなく、利用する予定もないということになりますよね。

その場合もお札やお守りと同様で、しかるべき神社の古札納所に納めれば良いでしょう。

さて、問題は、

>1)5年くらい前に浅草寺のお店で、般若心経が印刷された、手のひらサイズの小さなうちわを買いました。

のケースの方ですね。

お札やお守りと異なり、団扇は、単なるお土産です。

しかし、そこに般若心経という有り難いお経が印刷されているので、気になってしまうわけですね。

原則から言えば、神社・仏閣の正式な依代やものざねとは異なるため捨ててしまっても構いません。

但し、ちょっと厄介なのは、般若心経が印字されているため、一種の呪(しゅ、又はまじない)が掛ってしまっている点にあります。

これは、本来は単なるお土産物にすぎないものに特定の意味を持たせるための仕掛けが出来てしまっているということです。

簡単に言うと、単なるお土産であるはずのものが、般若心経を印字することで、それ以上の霊的意味が付加されて、それを持った人がそれに縛られてしまうということです。

捨てても一向にかまわないものなのですが、すでに、けいのすけ様が「罰があたらないかな」という気持ちを抱いてしまった時点で、その団扇には特別な意味がもたらされてしまているわけですね。

ですから、その状態(呪が掛った状態)で打ち捨ててしまうと思わぬ災いを招く可能性が残ってしまいます。

ではどのように処分するのが妥当なのでしょうか。

神社や仏閣で引き取ってくれるならば、一緒に納めても良いと思いますが、大抵の神社・仏閣はお土産物は引き取っては、くれないケースが多いようです。

そうなると自分で処分するしかないわけです。

その場合には、団扇に向かい、「これはただの団扇、これはただの団扇、これはただの団扇・・・」という具合に何度も口に出して呪を解いてから捨てるのが良いでしょう。

あるいは、以下の神歌を唱えてから捨てるのも良いかも知れません。


これやこの 玉はなきなり からからの 月影の去る みなものごとく


この歌を唱えてから捨てるという方法もあります。

いずれにせよ、けいのすけ様の心から「捨てても大丈夫」という感覚が生まれれば問題はありません。


以上、回答とさせて頂きます。


天心 拝


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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】産土神社と魂の関係

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、優果様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


こんにちは、いつもお世話になっています!
ブログなど更新を楽しく読ませて頂いております、ありがとうございます!

私は一昨年に産土神社の場所を知り、それから毎月、感謝の気持ちを伝える為に参拝をさせて頂いています。
あまり大きくない神社なのですが、何時までもこの神社が続いて欲しいなと維持管理の費用などの少しでも足しになればいいなと毎月、出せるだけのお寄付、玉串料を奉納させて頂いております。

そこで産土神社について段々疑問や気になるようになりました。

産土神社は自分の魂のルーツに関係したりするのでしょうか?

産土神社の働きと守護神・守護霊の関係について。
他にも産土神社について、参拝やお祈りの方法などがありましたら色々と教えてください。

もっと産土神社について知りたいなと思い、質問に応募をさせて頂きました。
よろしくお願い致します!


【回答】


優果様

ご質問ありがとうございます。

産土神社というのは、様々な解釈がされていたりもするのですが、一般に伝わる神道的な解釈でいえば、地域を守る鎮守という意味合いになります。

他には産湯を使った水が引かれている地域の神様を守る神社だったり、家系的なつながりのある氏神様を産土神社とするケースもあるようです。

一般的に初宮参りなどで詣でる神社がその人の産土神とされることもあり、最初に詣でる神社というのは、主に地域の神社だったり、氏神様だったりするので、こういう意味合いでいえば、様々な神社の神様が産土神といえる可能性があるわけですね。

なので、スピリチュアル的に見た場合の産土神というのは、一番、濃い縁のある神様と言い換えることが出来るかと思います。

さて、ご質問の内容の中に魂のルーツとの関係として産土神はどう関わるのかという点があったかと思います。

産土神は神道においても出生から死んだ後まで導きを与えてくれる神様とされています。

そういう意味では、産土神とは守護霊と並ぶ私たちを導いてくださる近しい親しみのある神様といえるでしょう。

しかし、それが必ずしも地域の鎮守様とは限りませんし、氏神様であるとも限りません。

もちろん、生まれ落ちた地域、初めて詣でた神社、先祖代々の守り神という縁起とつながりがあることは間違いがないことなので、これらの産土神も私たちと一つのつながりがあるとは言えます。

但し、そういった現実面ではっきりと明確にできる線引きとは別に魂のつながりの濃い神様や神社というものもあることも事実なのです。

ですから、産土神と魂の関係は一概には言えないというのが答えになるかなと思います。

>産土神社の働きと守護神・守護霊の関係について。
>他にも産土神社について、参拝やお祈りの方法などがありましたら色々と教えてください。


産土神社というのは、一言でいえば、そういう神社があるのではなく、自分自身でつながりを強くしていった神社がそう呼ぶにあたりすると考えるとわかりやすいと思います。

何か絶対的、固定的にある神社と考えてしまうとわかりにくくなるかと思います。

ご縁が強かったり、仲良くさせて頂いている神様を祀る社は皆、広義の意味で産土神社だと考えてよいと思います。

ですから、参拝方法や産土神だからといって、何か特別な参拝方法があるわけではありません。

守護霊との違いはそもそも次元層が異なります。

産土神は人生の大きな方向性やもう少し高度な視点で人生の在り方を考える時に助力を与えてくれます。

日々のこと細々としたことは、具体的で詳細なことは守護霊が担当してくれていると考えれば、概ね間違いはありません。

守護神は魂の霊統を守護する神様なので、産土神とはまた違った役どころになり、詳細はFGSの会の会報メルマガESSなどで発信しているので、そちらに譲りたいと思います。


以上、回答とさせて頂きます。


天心 拝


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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】霊能力者が増えている?

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、通広様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


天心先生

通広です。

いつもありがとうございます。

今、疑問に思っている事は、スピリチュアル ブームで、霊が見える人・霊と対話出来る人・霊界に行って帰って来れる人等が増えているのかどうか、です。

もし増えているのであれば、何故増えているのでしょうか?

また、神々様は、全ての人間が、そういう人になる事を望んでいらっしゃるのでしょうか?

以上、宜しくお願い致します。


【回答】


通広様

ご質問ありがとうございます。

スピリチュアルブーム以降、霊的な能力が開花される方々が増えているかどうかということですね。

まず、増えているかどうかというのは、統計的なデータのお話しかと思います。

そうなると何かしらのアンケート調査や統計データを踏まえて、増えているかどうかを語らなければならないと考えます。

結論から言うと、そういう意味では増えているのかどうかはわかりません。

私自身がそういった正確なビッグデータに触れたことはないからです。

だから、正確なことはわかりません。

しかし、一つだけ言えることはあります。

スピリチュアルブーム以降、多くのスピリチュアル的な発信をされる方、自身の霊的感性や体験を語られる人が多くなったような感じはいたします。

これは、統計上の話というよりも感覚であり、全体から見てどうなのかはわかりません。

ただ、私の初めてスピリチュアル的なことに触れた十代の頃に比べると感覚的に大きな変化を感じます。

私の十代の頃はスピリチュアルについて発信される方は、その道の専門家が多かったように思います。

誤解を恐れずに言えば、スピリチュアルというものは特別な世界のことで、それこそ一般の市井の人間には、あまり縁のないことという雰囲気がありました。

しかし、時は流れて現在、スピリチュアルを語る人はサラリーマン、OL、専業主婦、肩書をこえて広く、一般的な方々にも広がってきたように感じます。

では、これをもって霊的な能力を持つ人が増えているという証左となるのでしょうか。

それは、まだわからないと思います。

最初にもお話ししましたが、増えたかどうかは、定量的な問題ですので統計データを見なければわかりません。

一つの推論を申し上げれば、元々、霊的能力を持っていた方々がスピリチュアルブームによって、そのことをカミングアウトしやすくなったため、霊的能力者が増えているように見えるといえるのではないでしょうか。

つまり、昔から霊的能力というものが鋭敏であった方はいたのだけれど、それをカミングアウトできる環境になかったのではないかということです。

私の十代の頃は、それこそ、スピリチュアルなことを口にすることは一種のタブーであり、口にすれば気狂いの扱いを受けかねない雰囲気がありました。

そのような状況では、霊的な世界のことを感得していたとしても、おいそれと口には出来ないという事情もあったのかも知れません。

ですから、私の考えとしては、今も昔も霊的能力の鋭い人はいたのだろうということです。

>また、神々様は、全ての人間が、そういう人になる事を望んでいらっしゃるのでしょうか?

に関しては、元々、人にはすべからく霊性が宿っています。

その感性は誰にもあるものです。

特段、神様のお計らいでそうなっているというよりは、人によって腕っぷしが強い人、鼻が利く人、頭の回転が速い人、色々あるようにその偏りとして、霊的感性という部分で表れている人もいるということです。

なので、霊的な能力が高い人を神様が造ろうとしているというわけではないでしょう。

他にもいろいろな考察は出来ると思いますが、一つの考えとして参考になれば幸いです。


以上、回答とさせて頂きます。


天心 拝


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ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】カルマは終わらない?

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、真透様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


かねてから、疑問に思っていたことを質問させて頂きます。

毎日といってよい程、殺人時間の報道が
されています。

仮に被害者をA氏、加害者をB氏とします。

A氏は前世で人を殺めたことがあったから、今世で殺害されたのかなと、想像できます。

疑問に思うのは、A氏を殺めたB氏です。

B氏は、前世でA氏から殺害されたから、生まれ変わってA氏を殺めたのか。

B氏は、A氏を殺めることで、A氏が業を晴らすのを助けたことになるのか。

それであっても、人を殺めた罪は作ったことになり、死んで霊界で苦しんだり、来世でまた、A氏に殺害されるのか。

これだと、A氏とB氏のこの関係は終わらないのではないかと、考えてしまいます。

加害者側の因果について、天心様はどのようにお考えでしょうか。

宜しくお願い申し上げます。


【回答】


真透様

ご質問ありがとうございます。

確かにスピリチュアル的には人にはカルマ(業)というものが付いて回るとされています。

良い行いをすれば善なるカルマが起こり、悪い行いをすれば悪なるカルマが起こるというわけです。

そして、そのカルマは引き継がれていくとされています。

カルマが解消されない限りは、その背負っているカルマに相当する出来事が起こり、カルマが解消されるようにその人の人生が造られていくという具合に考えられています。

さて、この考えにのっとり、真透様の挙げてくださった事例を考えてみましょう。

前世でA氏がB氏を殺めたという出来事があったとするとA氏は悪なるカルマを背負ったことになります。

そのカルマは解消されない限り、A氏には前世のカルマが解消されるべく今生の人生が造られていくことになります。

ここで重要なのはA氏のカルマは前世、己がしたことをオウム返しされるようにB氏にやり返されるという具合に解消されるという点に誤解があるということです。

この誤解があるとA氏がB氏を殺めれば、来世でB氏がA氏を殺めることになり、さらに次の来世ではA氏がB氏を殺めるという無限ループが繰り返されて、何の救いもありません。

誤解を解くためにもはっきりさせておかなければならないのは、カルマが廻っていくという法則は、カルマに付随するエピソードが繰り返されるという意味ではないということです。

廻るのは正負のエネルギーであり、出来事や事柄そのものではないということです。

前世でA氏がB氏を殺めたとしても、今生で必ずしもB氏からやり返される形でカルマが解消されるわけではないのです。

カルマが解消されるパターンは、それこそ無尽蔵にあります。

別の人から殺められることもあるかも知れませんし、不慮の事故で非業の死を遂げるという形でカルマが解消されることもあります。

あるいは、一生を通じて、命の重さを感じるような学びをさせられる中でありえない程の苦痛を味合わされるなども考えられます。

ポイントとしては、人を殺めるという出来事の際に発生した負のエネルギーが解消するために生じる顕現化は、前世と同様の形とは限らないという点です。

なので、

>A氏は前世で人を殺めたことがあったから、今世で殺害されたのかなと、想像できます。

という想像通りとは限らないということですね。

>B氏は、前世でA氏から殺害されたから、生まれ変わってA氏を殺めたのか。

これも、そうとは限りませんね。

B氏はB氏のカルマがあり、そのカルマがカルマを呼び、結果、新たな悪なるカルマを造る契機をつかんでしまったとは言えます。

負のエネルギーは人をさらなる負のエネルギーの蓄積に走らせます。

だから、B氏が前世のA氏にされた仕返しのような形で来世にA氏を殺めるということになるとは限らないのですね。

また、

>B氏は、A氏を殺めることで、A氏が業を晴らすのを助けたことになるのか。


これも完全なる誤解です。

この発想は特に危険で、あたかもB氏がA氏に対して何か手助けをしているかのように見えてしまいますが、全く違います。

少し脱線しますが、この考えは、まさに95年に地下鉄サリン事件を起こした人たちが抱いた危険な誤解でもあったのです。

A氏もB氏も成したことに付随する負のエネルギーに変わりはありません。

相手を苦しめたりして善となることはありえないことなのですね。

人を苦しめたり、自らが苦しんだりすることも含めて、魂がけぶるような状態を作り出せば負のエネルギーは醸成されてしまいます。

ですから、誰が誰に何をしたかということよりも、いつでも魂を輝かせる方向で私たちは考え努力していく必要があるということです。

大切なことは、いかなる出来事が起こるかではなく、それを起こす元のエネルギーの種類に気を付けることにあります。

加害者であれ被害者であれ、出来事や事柄ではなく、カルマは正負のエネルギーのバランスに応じて顕現するものだということになります。


以上、回答とさせて頂きます。


天心 拝


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ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】スピリチュアル的な正しさとは?

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、すみこ様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】

是非、お聞きしたいことがあります。
例えば、会社で不正をしているとします。
誰もが自分の身は守りたいと思うものだと思います。
内部告発などして、自分が退職に追いやられることがあるとして、スピリチュアル的にはそれは正しい生き方なのでしょうか?

私の場合ですが、飲食店でぼったくりが横行しています。
ノルマも多く、お客さんには迷惑をかけているんじゃないかといつも思います。
もちろん、気前のいいお金持ち、会社の経費で…という方にはありがたくいただいてますが…
自分が間違ったことをしていると思いながら、生活のため、とあきらめて働くことは生き方として正しいのでしょうか?それとも、たとえ失業したり、収入が減る覚悟でも正義を貫いて辞めた方がスピリチュアル的には正しい生き方なのでしょうか?

流されて行きていくことに疑問を感じています。

【回答】


すみこ様

ご質問ありがとうございます。

人生を過ごす中には様々なことに接していきますよね。

理屈通りにはいかないこともあり、いつでも善なる行いをして生きたいと考えていても、複雑化した世の中においては時には失敗し、時には罪を犯すこともあります。

また、善なる行いが何であるかは明白であっても、単純には真っ直ぐに進めない。

それが人生の複雑さでもあり、単純ならざる人の持つ命運の妙味でもあるのかも知れません。

さて、ご質問を拝読させて頂いて感じますのは、正しさとは何か、スピリチュアル的に正しい生き方をしたいと思っていても真っ直ぐに進めない葛藤のようなものですね。

誰しもこれは多かれ少なかれあるのではないかと思います。

正しい筋書がありその通りに生きるのが良いとは限らず、イレギュラーな筋書の読めない展開の中で右往左往しながらも真を得ていくのが学びであり、人生の本義でもあります。

まずは、それを踏まえた上で人生における様々なことと向き合っていくことが大事です。

一つの考え方としてスピリチュアル的な善悪と社会的な善悪というものがあります。

スピリチュアル的な善悪とは魂の視点から見た善悪であります。

>例えば、会社で不正をしているとします。
>誰もが自分の身は守りたいと思うものだと思います。
>内部告発などして、自分が退職に追いやられることがあるとして、スピリチュアル的にはそれは正しい生き方なのでしょうか?


とありますが、ここには二つの視点が混在しています。

スピリチュアル的視点と社会的視点です。

社会的視点においていえば、不正は正すべきという発想になるかと思います。

もちろん、スピリチュアル的においても社会的不正を良しとするわけではありませんが、少しだけ角度が違います。

スピリチュアル的視点の善悪というものは、あくまで魂目線での判定になるのです。

不正があったのを内部告発するのかどうかはスピリチュアル的な視点においてはあまり関係がないのです。

例えば、不正があったとして、それをそっと諌めたり、社会的には正道なやり方でなかったとしても、愛をもって諭すという方法もあります。

あるいは、不正を働くものはいつかその因果応報を受ける時が来るわけなので、それまで突き放すという厳しい態度ももしかしたら愛なのかも知れません。

不正があり内部告発するのが妥当かどうかとうのは、社会的視座であり、スピリチュアル的な視座としての善悪とは関係がないのです。

自分の身を守りたいと思うのは、誰しもあることかも知れませんし、自分の身を守ることがスピリチュアル的な悪であるとは限りません。

しかしながら、もし、自分の中に後ろめたさや単なる自分の身だけを案ずるだけの気持ちしかないのであるならば、それはスピリチュアル的には曇っている状態であるといえるのかも知れません。

要は魂の欲するところはどうなのかがスピリチュアル的な視座としては重要になってきます。

例えば不正を内部告発したとしても、単なる裁きの心だけであったり、自分が正義の側に立っているのだという自惚れだけで行う行為はスピリチュアル的な視座として必ずしも善であるとはいいがたいでしょう。

逆に社会的な視座で見たら不正を黙認したりして、悪なる行為に思えることもそこに魂からの本当の意味での愛があるならば、必ずしもスピリチュアル的な視座で見た場合の悪であるとはいえないのです。

ですから、

>私の場合ですが、飲食店でぼったくりが横行しています。
>ノルマも多く、お客さんには迷惑をかけているんじゃないかといつも思います。
>もちろん、気前のいいお金持ち、会社の経費で…という方にはありがたくいただいてますが…
>自分が間違ったことをしていると思いながら、生活のため、とあきらめて働くことは生き方として正しいのでしょうか?それとも、たとえ失業したり、収入が減る覚悟でも正義を貫いて辞めた方がスピリチュアル的には正しい生き方なのでしょうか?


とありますが、これは、是非、すみこ様の魂に問いかけてみてほしいと思います。

自分の状況、立場、職場のこと、お客さんのこと、大所高所からよく鑑みて、本当に正しいことはなんであるのだろうか。

この問いかけをして、魂の底から得られた答えがスピリチュアル的な善であるといえるのではないでしょうか。

固定的で絶対的な善などはスピリチュアル的視座においてはあり得ないことです。

ですから、答えはすみこ様の魂が知っているはずです。



以上、回答とさせて頂きます。


天心 拝


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プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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